薙刀とは長い柄の先に反りのある刀をつけた武器で、平安時代に登場した武器です。
江戸時代になると武家の女子が身につけるべき武芸となったそうですよ。
薙刀とは、どんな武芸なのか・薙刀といえば女性というイメージがある理由・歴史などを紹介します。
薙刀とは?どんな武道
薙刀とは長い柄の先に反りのある刀をつけた武器で、相手を薙ぎ切ることを目的とした武器で平安時代に登場したといわれています。
当初は長刀(ながなた)と表記されていたそうです。
現在の薙刀は社団法人全日本なぎなた連盟が、おおくの薙刀術流派を統合し競技化した武道となっています。
白の稽古着に黒または紺色の乗馬袴を着用し、薙刀を模した木刀や競技用なぎなたを使います。
試合競技と演技競技の2種類があり、試合競技は防具を着用した競技者が制限時間内で先に2本取った方が勝ちとなります。
個人試合と団体試合があります。
演技競技は全日本なぎなた連盟の形・仕掛け応じの中から指定された技を2人で1組の演技者が披露して5人の審判員が技の良否を見定めて判定し、過半数をもって勝敗を決めます。
薙刀の種類
薙刀は形状によって3種類に分けられます。
・ 静形薙刀(しずかがたなぎなた)
男薙刀とも呼ばれていて反りが浅く、身幅の先が狭いという特徴があります。
源義経の愛妾・静御前にちなんで名付けられました。
・ 巴形薙刀(ともえがたなぎなた)
女薙刀とも呼ばれていて切っ先の方が強く反り、身幅が広がっているという特徴があります。
江戸時代に作られた婦人用薙刀の形状で巴形薙刀という名前もこの頃につけられました。
木曽義仲の愛妾・巴御前にちなんで名付けられたといわれていますが、関係ないという説もあるそうです。
・ 筑紫薙刀(つくしなぎなた)
九州の筑紫地方で使われていた薙刀で、柄に納める茎(なかご)がないことが特徴です。
刀身の棟(むね)側に櫃(ひつ)と呼ばれる輪状の金具をつけて柄を通すという特殊な構造となっています。
槍や薙刀の日本の歴史は?
薙刀は菖蒲造と呼ばれる形状の刀身を長い柄の先に取り付けたのが始まりといわれています。
当時の造りでは刀身が軽すぎたため威力は弱かったそうです。
そのため、鎌倉時代から身幅は広く反りを強くした刀身になりました。
また重みを増すために刃先の反対側に山型の突起をつけた薙刀が作られるようになりました。
南北朝時代では主要な武器として使われていましたが、戦国時代になると戦い方が集団戦にかわったことで間違って味方を切りつけてしまうことが起こるようになったため、薙刀の代わりに槍が登場しました。
槍は長い柄の先に刀身をつけた武器で、しならせて敵の頭部などを叩いて攻撃していました。
叩く攻撃の破壊力は突きの10倍以上あったそうです。
その後薙刀は薙刀直しと呼ばれる日本刀へ作り変えられ、戦の武器として使われることはなくなりました。
江戸時代になると、武道としての薙刀術が確立したため再び薙刀が使われるようになりました。
日本各地で様々な流派が誕生し、武家の娘が身につける教養の1つとなりました。
現在では伝統芸能や古流武術として薙刀を伝承する団体がいくつかある他に、武道・競技としての「なぎなた」が部活動などで盛んとなっています。
また、音楽のリズムに合わせて演武する「リズムなぎなた」があるそうです。
薙刀は女性というイメージはなぜ?
薙刀は刀や槍などと同様に男性が使う武器でした。
平安時代から鎌倉時代では、大将同士による馬上での一騎打ちが主流となっていて長い柄で相手を攻撃できる薙刀が使われていました。
しかし戦国時代になると集団戦が主流となります。
兵士が密集するため、重量のある薙刀を振り回してしまうと間違って味方を切りつけてしまうことが起きるようになったので、代わりに槍が使われるようになりました。
薙刀は戦では使われることはなくなりましたが、戦のために城主が不在となっている城を守るために武将の正室や母親などの女性が使うようになりました。
槍は突き刺す・叩くにはある程度の腕力が必要となるため女性には使いづらい武器です。
薙刀は振り上げれば、重力によって振り下ろせるので女性でも簡単に攻撃することができることから、女性が戦うときの武器として使っていたそうです。
江戸時代になると護身用の武具として女性が薙刀を持つようなり、嫁入り道具の1つになりました。
なぎなた さいごに
戦の武器として使われていた薙刀は、女性が護身術として身につける武道へと変化していきました。
薙刀は性別や年齢を問わず誰でも楽しめる武道なので、興味があれば道場へ見学に行ってみてはいかがでしょうか。
♪昔は戦いの武器だった薙刀ですが、今は武道として形を残しています。
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