武道といえば柔道や剣道、空手がありますが、合気道もあります。
合気道とは、どんな武道なのかときかれたら?
護身術?くらいの知識しかなくて困ったことがありました。
相手を倒すという思想がないため他者と競うのではなく、自分の体と精神を鍛えることを目的としているそうです。
合気道について発祥や歴史、また流派なども調べてみました。
合気道って何?
合気道とは植芝盛平が日本伝統武術の扇を究め、さらに厳しい精神修行を経て創始した武道です。
お互いの熟練度に合わせて技を練習して、心身を鍛えることを目的としています。
他人との優劣を競うことはしないので、試合はありません。
性別や年齢を問わず誰でも続けられる武道として、140カ国に広がっているそうです。
合気道の発祥と歴史
合気道発祥の地といわれている場所は数カ所あるといわれています。
合気道発祥の地
和歌山県の田辺市・北海道の白滝村・京都府の綾部市・茨城県の岩間市が代表的な場所といわれているそうです。
合気道創始者の植芝盛平は亡くなるまで研究をして技が変わり続けていたため、どの時点で完成したかは分からないそうです。
・ 田辺市(和歌山県)
植芝盛平の生誕の地で、生家跡や植芝盛平頌徳碑・扇ヶ浜公園には植芝盛平の銅像があります。
・ 白滝地区(北海道)
合気道ゆかりの地という石碑があります。
1912年、植芝盛平が29歳の時に白滝地区の開拓に和歌山県から80人を連れて行きました。
厳しい開拓生活で培った肉体と精神は合気道誕生に大きな影響を与えたといわれています。
大東流合気柔術の武田惣角と出会い、技術が合気道のペースになったそうです。
・ 綾部市(京都府)
父親が危篤だと連絡を受けた植芝盛平が白滝地区から田辺市に帰る途中に立ち寄った場所です。
そのときに神道系新宗教・大本の出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)と出会い感銘を受け、合気道の精神の元になったそうです。
父親が亡くなった後、一家で綾部に移住し8年間過ごし、大本の助けを得ながら植草塾という道場を開きました。
・ 岩間町(茨城県)
1942年植芝盛平が58歳の時に自分の武道を合気道と称するようになり、東京から岩間町へ転居しました。
この地で合気修練道場を作り、農業と合気道の研究をしていました。
植芝盛平が創建した合気道に関する神社・合氣神社があり、毎年4月29日に例大祭が行われています。
田辺市・白滝地区のあった遠軽町(えんがるちょう)・綾部市・岩間町のあった笠間市の4市町は、2008年2月に植芝盛平ゆかりのまちとして友好都市提携を結びました。
合気道の歴史
合気道は植芝盛平が創始した武道です。
日本国内に昔から伝わっていた様々な武術の奥義を究めていくと同時に精神的な修行も行い、あらゆる苦行を経験して乗り越え大正時代に合気道が誕生しました。
合気道にも流派がある?
合気道には、合気道流派と呼ばれる流派があります。
代表的な流派には次のものがあります。
合気会
植芝盛平の合気道を継承している流派で、現在は植芝守央が道場主を務めています。
強さを競うのではなく、心身の鍛練を図ることを目的としているため試合は行いません。
養神館
植芝盛平の弟子だった塩田剛三が創設した流派で、内閣総理大臣から公益財団法人として認定されています。
投げ技や当身など攻防一体の体術が特徴です。
試合はありませんが、演武大会が全国で行われています。
護身術合気道
豊崎円空就保が昔からの合気道に他武道の技術を研究して加え、現代社会に適合する護身術として改良しました。
体力のない人でも自分を守れるように技術や心構え・知識を学び、体力向上できるように心がけています。
万生館
植芝盛平より合気道九段をもらった砂泊かん秀(すなどまりかんしゅう)が九州に合気道を普及することを目的として開設しました。
異なる技を連続でかけることが特徴となっています。
合気道とは? さいごに
合気道は相手の力を利用する、関節をとる技がメインとなっているため体格の勝る相手でも技をかけることができる武道です。
性別や年齢に関係なく、長く続けることができるので興味があれば道場へ見学に行ってみてはいかがでしょうか。
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