日本の武道のひとつになっている相撲。
あまり武道というイメージはないけど日本の国技として年に数回、大相撲が行われています。
この相撲は、いつから行われるようになったのでしょうか?
相撲の歴史や相撲という名前の由来は?
そして相撲がなぜ日本の国技と言われているのか?
解らないことがいっぱい。なので調べてみました。
相撲とは?そのはじまりと歴史
相撲とは、土俵上で腰にまわしをつけた2人が組み合い、力や技を使って相手を土俵の外で出したら勝ちとなる競技です。
古事記や日本書紀にある力くらべの神話や宿禰(すくね)と蹴速(けはや)の天覧勝負の伝説などが相撲の起源であるといわれています。
宿禰(すくね)と蹴速(けはや)の天覧勝負
大和の国に蹴速という大男が住んでいて、力自慢のため生死を問わない勝負をする相手を探しに首都へやってきました。
それを聞いた垂仁天皇が出雲国から宿禰を呼び出し、蹴速と勝負をさせ、宿禰は蹴速を投げ飛ばして勝ちました。
この時、投げ飛ばされた蹴速は背骨を折ってしまったことで、その場で死んでしまったそうです。
相撲の歴史
奈良時代では毎年7月の七夕祭りの時に天皇や貴族たちの前で相撲が行われていて、平安時代になると相撲節会(すまひのせちえ)という宮中行事となりました。
日本各地でその年の農作物の収穫を占う儀式として行われていた相撲が、五穀豊穣や天下泰平を祈念する神事として発展し宮中で行われるようになったそうです。
鎌倉時代になると、力くらべと戦うための訓練として武士たちの間に広まっていきました。
源頼朝は、将軍の前で披露される上覧相撲を開催していたそうです。
室町時代では相撲は庶民にも広まっていきましたが、武士たちの間では強さを誇示するものとして奨励されていて、大名たちは相撲の強い人を家臣にしていました。
江戸時代になると相撲を職業とする人たちが現れ日本各地で相撲が行われるようになり、やがて定期的に相撲が行われるようになりました。
現在では1月は初場所、3月は春場所、5月は夏場所、7月は名古屋場所、9月は秋場所、11月は九州場所が行われています。
相撲が始まるまでの手順
実際に相撲を行うまでの動作手順・作法が決められています。
- 塵手水(ちりちょうず)
かかとを上げて両膝を開いて腰を落とし、上体を真っ直ぐに起こした姿勢で柏手を打ってから、両手を大きく広げて掌を返します。
「私は手に何も持っていません。正々堂々と素手で勝負をします」という意味があるそうです。
- 仕切り(しきり)
土俵上で双方が視線を合わしてから、腰を落としていって仕切り線に拳をつきます。
番付ごとに定められた制限時間内では何回でも行うことができるので、制限時間ギリギリまで仕切りを繰り返すそうです。
- 立合い(たちあい)
仕切りの状態から双方が暗黙の了解で同時に立ち上がってぶつかることで相撲が始まります。
立合いは他の武道や格闘技にはない相撲独自のもので、開始が公平に行われたかを確認するものとなります。
相撲という名前の由来はなに?
「争う」や「抵抗する」という意味の形容詞「すまふ」が由来といわれていて、「すまふ」の連用形である「すまひ」が名詞となり、漢語の「相撲」が表記として当てられたそうです。
「すもう」と呼ばれるようになったのは室町時代からといわれています。
相撲がなぜ国技なの?
国技とは、その国固有または伝統的な技芸や競技のことでアメリカの野球、タイのムエタイ、ニュージーランドのラグビーなどがあります。
相撲が日本の国技と呼ばれるようになったのは、1909年に国技館が建てられてからだといわれています。
国技館で行う競技が相撲であったことから国技と呼ばれ始めたそうです。
日本では国技を日本の象徴として認めるという法令が存在していないことから、相撲は日本を象徴する競技であるとはいえないそうです。
ちなみに法令で日本の象徴として認められているのは、天皇・国家・国旗の3つとなっています。
相撲が国技であると言われているのは、国技館で行われているからという理由でした。
相撲のはじまりと歴史 さいごに
相撲は神話や伝説から始まった長い歴史のある競技なんですね。
国技といわれていますが、法令に定められてはいません。
国技館で行われる競技だからというのは意外な理由でした。
法令では国技は認められていませんが国の文化に重要な競技であるということです。
年に数回行われる大相撲をテレビで見て、始まりから勝敗が決まるまでの一連の動きや技を見て相撲を楽しんでみるのもいいかもしれません。
♪相撲の番付などについてはこちらの記事も合わせてご覧いただければと思います。