半纏といえば、寒い時に羽織る綿入れ半纏を思い浮かべるのではないでしょうか。
でも半纏には鳶職や職人さんが着る制服のようなものもあります。
半纏にはどんな種類があるのでしょうか。
似ているものに法被があります。
半纏と法被は何が違うのか?気になったので調べてみました。
半纏の種類や、法被の起源や歴史などを紹介します。
半纏の種類はどんなものがある?
半纏といってもいろいろありますね。
主な半纏の種類としては次のようになります。
ねんねこ半纏
おんぶ紐で乳幼児を背負ってから羽織る半纏です。
背負った乳幼児を保護する、または防寒のために使われていました。
広袖で丈は膝くらいまでで、背負われた乳幼児が窮屈な思いをしないように身幅が広くなっています。
背中から下ろして寝かせておく簡易布団として使われていました。
亀の子半纏
ねんねこ半纏を簡略化した半纏で、袖がなく亀の甲羅に似た形で綿が入っています。
ねんねこ半纏と同じように乳幼児をおんぶしてから羽織肩紐を下にある輪に通して前で結ぶようになっています。
袖がないので乳幼児を背負った状態でも家事をすることができます。
印半纏
紺木綿または茶木綿に屋号や家紋を白抜きに染めた半纏で、大工や植木屋などの職人が仕事着として使われていました。
長半纏
丈が膝下まである半纏で江戸時代末期に流行し、大工の棟梁や鳶職・火消し・網元たちが着ていました。紺木綿に刺子が施されているものが多く、裏に武者絵が描かれたものもあったそうです。
革半纏
江戸時代中期から鳶職の頭が防寒用として着ていた半纏です。
黒革、または菖蒲革などを原料にして、背中に定紋や屋号・記号などを白く染め抜いてあります。
裏を別染めにして裏返しにして着ることもあります。
蝙蝠半纏
丈が短く、長めの広袖になっている半纏で旅商人が合羽の代わりに着てしました。
蝙蝠の羽根を広げた形に似ていることから名付けられたそうですよ。
内半纏
毎年ゴールデンウィーク中に静岡県浜松市で開催される「浜松まつり」の衣装の1つで、町内法被の下に着ます。
特に決まったデザインはなく、家族や友達などでお揃いのデザインにする、または自分だけのオリジナルデザインで作るそうです。
内半纏を着る時に帯を巻き、その上に町内法被を羽織ります。
ただし、町内会によっては内半纏の着用を禁止している場合があるので、事前に確認しましょう。
半纏と法被の違いはこんなところ
半纏と似ている法被(はっぴ)、なにが違うのでしょう?
半纏と法被の違いは主に丈・袖・胸紐がありました。
丈
法被の丈は少し長めで尻あたりまでありますが、半纏の丈は尻より上と短めになっています。
袖の長さ
半纏の袖は法被の袖と比べると小さく、短めになっています。
胸紐
法被は羽織の簡易版であるため胸紐がついています。
または紐を通すための乳(ち)と呼ばれるものがついています。
半纏には胸紐はありません。
法被の起源は?法被の歴史
法被は江戸時代初期に武士たちが家紋を染め抜いたものを着たのが始まりといわれています。
胸紐つきの単(ひとえ)に襟を返して、羽織のようにして着ていました。
この頃は身分の高い武士だけが着ることが許されていたそうです。
そのため庶民でも法被が着られるように、襟を返さないようにしました。
昭和になると洋服が浸透してきたことにより、法被を仕事着として着ることは少なくなってしまいました。
しかし1970年に行われた大阪万博で法被を着たことから、イベントに必要なものと定着しました。
「はっぴ」という名前の由来は、皇族や公家の正装となった束帯(そくたい)を着る時に使われていた下着の半臂(はんぴ)が転じて「はっぴ」になったといわれています。
また高僧が座る椅子の背もたれにかけられている布を法被と呼ばれていますが、衣服とのつながりはなく同じ発音による当て字であると考えられているそうです。
半纏の種類と法被 さいごに
半纏といえば防寒着として冬に着る物というイメージが強いですが、乳幼児をおんぶする時や職人の仕事着、合羽代わりといろんな種類の半纏がありました。
今では法被も半纏も同じような物となりましたが、法被は江戸時代では羽織代わりとして武士たちだけが着用が認められている特別な羽織りものだったとは意外でしたね。
半纏・法被の区別は曖昧になっているので、どちらで呼んでも間違いではないので、1つの雑学として知って貰えれば幸いです。
♪半纏は防寒や仕事着だけでなくファッションとして着るという人も増えています。こちらをご覧ください (^^)
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