豆腐とは大豆から作った豆乳に凝固剤を加えて固めた食品です。
中国や日本、台湾、ベトナムなどのアジアでは日常的に食べられていますが、今ではアメリカやイギリスなどでも食べられているそうです。
豆腐はいつどこで誕生して日本にやってきたのでしょうか。
豆腐の起源や歴史などを調べてみましたのでご紹介します。
豆腐の起源と発祥 いつ誰が作ったの?
豆腐は紀元前2000年頃、中国・前漢時代に学者の劉安(りゅうあん)が発明した食品であるといわれています。
しかし豆腐について書かれた書物が唐代以降まで存在していないこと、豆腐が誕生したのは唐代中期という説もあるため定かになっていないそうです。
少なくとも唐代中期には豆腐が作られていたと考えられています。
豆腐が日本に伝来されたのは?
豆腐が日本に伝わったのはいつなのか?
奈良時代に中国へ渡った遣唐使の僧侶たちであるといわれています。
精進料理の普及によって貴族や武家社会に伝わり、室町時代で全国へと広がっていきました。
豆腐の日本での歴史
庶民が豆腐を食べるようになったのは江戸時代といわれていますが、江戸時代初期は初代将軍の徳川家康と2代目将軍の徳川秀忠が農民たちに普段の生活で食べること許さないという禁止令を出すほど豆腐は贅沢な食べ物でした。
江戸時代中期になると庶民の食卓にも出るようになりましたが、江戸や京都・大阪などの大都市だけに製造が許されていました。
豆腐の製造禁止はなくなりましたが、物価統制の重要品目として奉行所から厳しく管理されるようになり、豆腐値段引下令に応じない豆腐屋は営業停止になるため値段を自由に決めることはできませんでした。
それでも江戸では豆腐料理は評判で、江戸時代後期には狂歌師の頭光(つむりのひかる)が
「ほととぎす 自由自在に聞く里は 海屋に三里 豆腐屋に二里」
という狂歌を詠むほど、様々な場所に豆腐屋があったそうです。
当時は木綿豆腐しかありませんでしたが、「根ぎし 笹之雪」という豆腐屋が新しい豆腐として絹ごし豆腐を売り出しました。
行商販売も始まり、明治時代ではラッパを鳴らして売り歩くようになりました。
豆腐を売り歩くときにラッパが使われるようになったのは、ある豆腐屋が乗合馬車や鉄道馬車の御者が危険防止のために鳴らしていた音が「トーフー」と聞こえることに気づいたのが始まりといわれています。
近代工業が発達するとともに、豆腐製造にも機械化が進み効率よく大量の豆腐が作られるようになり、安い値段で手に入るようになりました。
現在では海外でも人気があり、一般家庭でも食べられています。
豆乳の作り方
豆腐を作るには、まず大豆から豆乳を作ることが必要となります。
- 原料である大豆から割れている、虫に喰われているなどを取り除いてから、約10時間水に浸けます。
- 柔らかくなった大豆に水を加えて磨り潰し、生呉(なまご)を作ります。
- 大豆のタンパク質が凝固しやすくするために、生呉を焦げないように煮て煮呉(にご)を作ります。
- 煮呉を布で漉し、出てきた液体が豆乳となります。
木綿豆腐の製造過程
木綿豆腐用の型箱に布を敷き豆乳を流し込み圧搾成型した豆腐で、表面に布目がつくことから木綿豆腐と名付けられたそうですよ。
- 熱した豆乳に凝固剤を入れて固めます。この状態で盛り付けると寄せ豆腐となります。
- 布を敷いた木綿豆腐用の型箱に固まった豆乳を隅から流し込みます。
- 蓋をして重石をのせ水分を抜きます。
- 型箱から取りだし、布に包んだ状態で約30分水に浸けます。
- 1丁ごとに切り分けたら完成です。
絹ごし豆腐の製造過程
食感が柔らかく、きめ細やかな舌触りがある豆腐です。
- 豆乳を冷やします。
- 冷やした豆乳を型に入れてから凝固剤を入れ、加熱して豆乳を固めます。
- 型から取りだし、約30分水に浸けます。
- 1丁ごとに切り分けたら完成です。
豆腐の起源 さいごに
中国から伝わった豆腐は贅沢な食品だったため、庶民が食べられるようになったのは江戸時代後期と遅かったのですね。
今では手頃な値段で買うことができ、いろんな料理に使える便利な食材となったので豆腐を味わってみてはいかがでしょうか。
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