和菓子とは昔からある日本のお菓子の総称で、西洋文化とともに来た洋菓子と区別するために使われるようになりました。
普段私たちが食べている和菓子は、いつ誕生したのでしょうか。
和菓子の生まれたきっかけや今のようになるまでの進化など、和菓子の歴史を調べてみましたのでご紹介します。
和菓子誕生のきっかけとは?
縄文時代は稲や粟・稗を主食にして肉や魚を食べていました。
しかし、空腹を感じると野生の木の実や果物をそのまま食べていたと考えられ、これが菓子の始まりであるといわれています。
昔の菓子の中にドングリがありましたがアクが強いため、そのままでは食べることができませんでした。
そこでドングリを砕いて粉にしてから水にさらすことでアクを抜くことができるようになりました。
アク抜きをしたドングリを丸めて熱を加えて団子にしたのが、和菓子誕生のきっかけになったといわれています。
和菓子はどこで誰が?団子から和菓子になるまでの話
奈良・平安時代に遣唐使によって、中国との交流が始まりました。
その時に日本に伝わった唐菓子(からくだもの)によって和菓子が大きく変化しました。
唐菓子とは、小麦粉や米粉に甘味料や塩を加えて混ぜ合わせ、様々な形にしてから油で揚げた食べ物です。
砂糖はありましたが、薬として使われる貴重なものであったことから、ツタの樹液を煮詰めて作った甘葛(あまずら)を代用品にしていました。
唐菓子の作り方を参考にして、日本初の和菓子・椿餅(つばきもち)が誕生しました。
椿餅は、餅米の糒(ほしいい)に甘葛を加えて混ぜ合わせて固めてから、椿の葉で挟んだものであったそうです。
和菓子の誕生の歴史と進化
縄文時代に団子、平安時代に椿餅が誕生した和菓子が発展したのは、鎌倉時代です。
栄西禅師が宋からお茶の苗を持ち帰り、栽培と普及が進んだことによって喫茶文化が広まっていきました。
それと同時に点心も広まりました。
点心といえば、シュウマイや小篭包などの中華料理というイメージが強いですが、当時は禅宗の寺院で朝と夜の食事の間に取る軽食のことを点心と呼んでいました。
饅頭や羊羹には羊や豚などの肉が使われていましたが、当時の日本では肉を食べる習慣がなかったため、代わりに小豆を使うようになりました。
これが饅頭・羊羹の始まりとなります。
安土桃山時代になると、ポルトガル・スペインの宣教師によってカステラや金平糖などの南蛮菓子が入ってきました。
これらのお菓子には砂糖が使われていますが、ポルトガルからの輸入が盛んになった、または日本でも黒砂糖や和三盆などの砂糖が作られるようになったことで手軽に作られるようになり、庶民も食べられるようになりました。
江戸時代は戦がなくなり平和になったことで、菓子づくりに力を注げるようになりました。
そして、日本各地の城下町や門前町などで独特の和菓子が多く誕生しました。
今でもよく食べられている和菓子の多くは江戸時代に誕生しています。
明治時代では、西洋文化が日本に入ってきたことで和菓子も大きく進化しました。
中でもオーブンの登場によって、栗饅頭やカステラ饅頭などの焼き菓子が登場しました。
オーブンを使った和菓子
- 栗饅頭
生地に栗あんや栗を混ぜた白あんを詰め、小判または栗の形にしてからオーブンで焼き上げた饅頭です。
表面に卵黄を塗ってあるため、焼くとツヤのある焦げ茶になります。
- 月餅(げっぺい)
中国のお菓子の1つで、陰暦8月15日に家族円満を願うためにお供えします。
生地に小豆あんやクルミなどのナッツ・ゴマを混ぜたあんを包み、型に入れて生地に模様を押しつけてからオーブンで焼き上げたお菓子です。
- 桃山(ももやま)
白あんと卵黄で作った生地で白あんを包み、型に入れて打ち抜いてからオーブンで焼き上げたお菓子です。
桃山という名前の由来には、桃山御殿の瓦の形に印字があった・白あんそのものを生地にして焼いた豪華さがある・桃山時代になぞらえた・京都の地名にちなんだなどの諸説があります。
- カステラ
ポルトガル人が長崎に伝えたお菓子です。
卵・砂糖・小麦粉・ハチミツ・水あめ・牛乳などで作った生地を木枠に流し込んでオーブンで焼き上げています。
ポルトガルから伝わった洋菓子ですが、日本独特のお菓子となっているため今では和菓子として扱われています。
和菓子誕生のきっかけと歴史 さいごに
和菓子のはじまりは、アクが強くて、そのままでは食べられないドングリを食べるために砕いて水にさらしてから丸めた団子から始まりました。
今では様々な和菓子が作られています。
見ているだけでもきれいなものや、独特の味わいのものなどがあります。
日本の和菓子を味わってみてはいかがでしょうか。