博物館明治村は愛知県犬山市にあるテーマパークで、明治時代の貴重な建造物が多く展示されています。
博物館明治村が開村になるまで、どんないきさつがあったのでしょうか。
博物館明治村の歴史や村長・館長についてなどを紹介します。
博物館明治村の歴史に託した思い
博物館明治村は、1965年3月に開村しました。
初代館長の建築家・谷口吉郎氏は、明治時代の象徴であった国営の社交場・鹿鳴館が老朽化によって取り壊されたことに心を痛めていました。
鹿鳴館を保存できなかった無念さが、明治時代の建造物を保存し公開する事業を始めるきっかけとなります。
1940年11月8日、東京日日新聞(現在の毎日新聞)に「明治の哀惜」というタイトルで谷口氏が書いた文が掲載され、明治建築物の保存を呼びかけました。
しかし日本が戦争に突入したことで、洋風建築物は国辱とみなされ破壊されていきます。
戦争末期では空襲によって多くの建築物が焼失されてしまいました。
「明治の哀惜」が掲載されてから約20年後、旧制第四高等学校の同窓会が行われました。
理科を卒業していた谷口氏は、この場で明治村構想を語りました。
その話を聞いた名古屋鉄道副社長・土川元夫氏と文部省国宝監査官・田山方南氏が賛同したことから明治村構想が動き出しました。
明治村の場所は名古屋鉄道の協力によって、愛知県犬山市にある入鹿池の湖畔に決まりました。
1861年に明治村設立準備委員会が発足、1862年に財団法人・明治村設立認可をうけ、渋沢敬三が初代会長に就任しました。
建設委員会が明治時代の建造物の取り壊し情報を集めながら、北海道から京都にある建造物15件を入鹿池の湖畔へ移築し、1965年3月18日に開村記念式典を行い、翌日19日から一般公開が始まりました。
現在では、100万平方メートルと広い敷地に教会堂や学校・役所・商家・芝居小屋・文学者ゆかりの住宅をはじめとする68件の建造物が移築されています。
博物館明治村の村長はどんな人?
現在、博物館明治村の村長は四代目で初の女性村長として作家・エッセイストの阿川佐和子氏が2014年に就任しています。
阿川氏はTBS「情報デスクToday」「筑紫哲也NEWS23」「報道特集」でキャスターを務めた後、執筆を中心にインタビューやテレビ・ラジオなどで活躍しています。
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歴代の博物館明治村村長
- 初 代 徳川夢声(とくがわむせい)
弁士・漫談家・作家・俳優・テレビ・ラジオ番組など多方面で活躍した人で、日本の元祖マルチタレントといわれています。
結婚式のスピーチとして定番の「3つの袋」を作った人でないかといわれています。
- 二代目 森繁久彌(もりしげひさや)
昭和の芸能界を代表する国民的俳優の1人の元NHKアナウンサーで、映画やテレビ・舞台など幅広い分野で活躍していました。
ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」で主演を務め、上演回数900回・観客動員数約165万人という記録を樹立しました。
- 三代目 小沢昭一(おざわしょういち)
個性的な名脇役として、舞台やテレビで活躍した俳優で、ラジオのパーソナリティーとしても有名です。
他には、放送大学客員教授や日本新劇俳優協会会長・劇団「しゃぼん玉座」主宰・見世物学会顧問を務めていました。
博物館明治村の館長はどんな人?
現在の博物館明治村館長は、六代目の中川武氏が務めています。
中川氏は早稲田大学名誉教授で、アジア・日本を中心とした建築士を専門に研究しています。
歴代の博物館明治村館長
- 初 代 谷口吉郎(たにぐちよしろう)
石川県金沢市出身の建築家で、東宮御所・帝国劇場の設計をしました。
また庭園研究者、東京工業大学教授でもありました。
最初の金沢市名誉市民で、息子の谷口吉生も建築家になっています。
- 二代目 関野克(せきのまさる)
東京大学名誉教授の建築史学者で、「日本住宅小史」や「建築のいろいろ」、「寺と社」、「文化財と建築史」などの著者があります。
- 三代目 村松貞次郎(むらまつていじろう)
東京大学名誉教授の建築史家で、日本の建築生産について研究をしていました。
「日本近代建築技技術史」に、煉瓦造や鉄筋コンクリート造などの新しい技術が導入される過程をまとめました。
- 四代目 飯田喜四郎(いいだきしろう)
名古屋大学名誉教授の建築史家で、日本における西洋建築史学の研究者としての著作・翻訳が多くあります。
また、新宿御苑休所や原爆ドームをはじめとする多くの保存修復事業の委員長を歴任していました。
- 五代目 鈴木博之(すずき ひろゆき)
東京大学名誉教授の建築史家で、他には東京大学工学部教授や東京大学大学院工学系研究科教授・青山学院大学総合文化政策学部教授・公益財団法人明治村副理事長などを歴任していました。
博物館明治村の歴史に託した思いとは さいごに
博物館明治村は、建築家の谷口吉郎氏が明治時代の建造物が鹿鳴館のように無くならないようにという目的で作られました。
最初は15件だった明治の建造物は現在では68件と増え、国の重要文化財にも指定されています。
もしかしたら、見ることができなくなっていた明治の建造物を間近で見ることができる博物館明治村に行ってみてはいかがでしょうか。