肌寒い時に羽織る物には、カーディガンやパーカー、ポンチョ、ストールなど様々な種類があり、半纏もその1つです。
半纏は防寒として羽織ることが多いですが、労務用として使われることもあります。
半纏はいつから使われるようになったのでしょうか。
半纏の歴史や種類、綿入れ半纏とちゃんちゃんことの違いなどを調べてみたのでご紹介します。
半纏とはどんなもの?
半纏とは筒状の長袖がついた腰丈の衣服のことです。
大きく分けて防寒用と労務用があり江戸時代では羽織の代用品として庶民が着ていたそうです。
半纏の語源は一反の生地で二着作ったからといわれています。
防寒用の半纏には綿が入っていて、労務用の半纏は大工や職人、火消したちが仕事をする時に着ていました。
種類は袖の形による広袖半纏(ひろそではんてん)・角袖半纏(かくそではんてん)・筒袖半纏(つつそではんてん)があり、デザイン面では家で定まっている正式な紋である定紋(じょうもん)
店や事務所の名前やマークである屋号(やごう)などを染めつけた印半纏(しるしばんてん)
木綿の布一面に刺し縫いが施されていて丈夫であると同時に水を多く含むため、江戸時代の火消したち水を浴び火事の熱から身を守るために着ていた刺子半纏(さしこはんてん)
などがあります。
印半纏は従業員に支給する、または出入りの職人などに祝儀として与えることが多いそうです。
職人では半纏は正装として通用するので、窮屈羽織とも呼ばれていました。
綿入れ半纏の歴史
半纏は18世紀ごろから広く着用されるようになりました。
江戸時代、筑後の町では幕府から絹織物を禁じられた農民によって、木綿織物の技術がめざましく発展しました。
木綿織物の伝統技術を受け継ぎ、さらに磨き上げ、手づくり民芸調久留米はんてんが生まれました。
羽織が法被へと変わり、法被がよく着られるようになってから染色技術が向上し、庶民用に作られたのが半纏です。
都市部で生活をしていた庶民のなかでも、職人・販売員など肉体労働者が着用していました。
半纏は労働者の制服だったんですね。
綿入れ半纏は半纏の表地と裏地の間に綿が入っていて、家の中で着る防寒着のことです。
江戸時代後期から庶民の日常着となり、地方によっては「どてら」とも呼ばれています。
綿入れ半纏とちゃんちゃんこの違いは?
ちゃんちゃんことは、袖のない羽織・半纏・綿入り半纏のことをいいます。
飴売りの衣装が起源といわれていて、作業がしやすくなるようにと袖を切り落としたそうです。
ちゃんちゃんこは、地域によって呼び名が違ってきます。
どんぶぐ
寒さの厳しい東北地方では、どんぶぐと呼ばれています。
胴服が訛って、どんぶぐとなり宮城県や秋田県・山形南部で使われているそうです。
どてら・綿入れ半纏も、どんぶぐと呼ばれています。
またちゃんちゃんこは、つんぬぎとも呼ばれていて語源は袖がない・脱いだ・抜けたから転じていると考えられています。
でんち
殿中羽織に由来しているといわれていて、岐阜県や愛知県・三重県、京都府・大阪府・兵庫県・滋賀県・奈良県・和歌山県、四国一帯にかけて使われています。
でんちの他には、てんちこ・てんこ・でんこと呼んでいる地域もあるそうです。
綿入れ半纏には袖があり、ちゃんちゃんこには袖がないという違いがあります。
綿が入っている半纏やちゃんちゃんこが暖かいのは、中に入っている綿が人体から出てくる湿気や空気中の水分をキャッチするためです。
綿に吸収された水分が体温によって暖められることで衣服と体が同時に暖まることができます。
袖のないちゃんちゃんこは、家事をする時に便利な防寒着です。
洗い物をする時に長い袖のある綿入れ半纏では、邪魔になるだけでなく袖が濡れてしまうことがあります。
袖のないちゃんちゃんこなら、腕が動かしやすく背中をしっかりと暖めてくれます。
料理で火を使う時に袖があると引火する危険性がありますが、ちゃんちゃんこには袖がないので安心して料理をすることができます。
また、ちゃんちゃんこは手足を良く動かす子どもの防寒着として使われることが多く、赤ちゃんに還るという意味で還暦のお祝いとして赤いちゃんちゃんこを贈る習慣があります。
綿入れ半纏とちゃんちゃんこ さいごに
半纏は羽織の代用品として、庶民や職人たちに使われてきました。
今でも祭りや職人たちが着ています。
綿入れ半纏はしっかりと上半身を暖めてくれるので、暖房器具がいらないこともあるのでエコにもなる便利な羽織りものです。
いろんなデザインがあるので、あなたも使ってみませんか。
♪半纏と法被の違いや起源などについてはこちらの記事でどうぞ (^^)