水道は、生活に必要な水を簡単に使えるようにした設備です。
海外では古代ローマに水道が整備されていましたが、日本ではいつから水道が整備されるようになったのでしょうか。
水道のできる前の日本ではどのように水を確保していたのでしょう。
日本の水道の歴史をまとめてみました。
日本の水道はいつできた?
日本の近代水道は1887年10月17日、横浜市が最初であるといわれています。
江戸時代末期から明治時代初期にかけて、外国との貿易が活発になったことでコレラ・チフスなどの伝染病が全国的に大流行したことの対応策として作られました。
水道の種類
水道は大きく分けて、上水道・中水道・下水道の3つがあります。
- 上水道
飲料水を供給するための水道です。
5001人以上の人に飲料水を供給する場合は上水道・101~5000人の場合は簡易水道・101人以上の寄宿舎や社宅など特定の施設で供給する場合は専用水道・受水槽の有効容量が10立方メートル以上の場合は簡易専用水道と呼ばれています。
- 下水道
家庭や工場・学校などの施設から出た汚水を下水処理場へ運ぶための水道です。
下水処理場でキレイにしたみずは川や海へ戻しています。
また雨が降ったとき、街中が浸水しないように側溝や雨水マスで集めた雨水を下水処理場へ運ぶときにも使われています。
市街地の下水を処理・排除するのは公共下水道、2市町村以上にまたがる下水を処理・排除するのは流域下水道、市街地の下水を排出だけをするのは都市下水路、観光地の環境保全をするのは特定公共下水道と呼ばれています。
- 中水道
飲料水として使うことはできませんが、水洗トイレや工場用水などで使われる水道です。
増えすぎた下水量を減らすために導入されました。
日本の昔の水道はどんなもの
日本の水道が近代化される前は、石や木で造られた水道管を使って井戸から水を汲み上げていました。
水道が造られるまでは川の水を汲みに行っていました。
川の水は飲料水や洗濯に使うだけでなく、木材や重い荷物を運ぶための輸送手段として使われていました。
そのため日照りで水が枯れてしまうと、自分たちの田畑に水を引こうと水を取り合う争いが起こり死傷者が出ていたそうです。
日本の水道の歴史
日本の水道は江戸時代から始まりました。
小石川上水
徳川家康が江戸幕府を開くときに造った水道施設で、神田・日本橋方面に給水をしていました。
当時の日比谷公園・皇居外苑付近は浅海であったことから、井戸を掘っても塩分が強かったため飲料水には適していませんでした。
そこで徳川家康が家臣の大久保藤五郎に命じて小石川上水を造らせました。
玉川上水
江戸幕府の発展とともに人口が急激に増えたため、水の供給が間に合わなくなってしまいました。
そこで江戸幕府は多摩川の水を引き入れる計画を立て、1653年に工事が始まり約8ヶ月で水路を完成させ小石川上水から玉川上水になりました。
玉川上水は水源から水門まで約43kmという長い距離にも関わらず、高低差は少なく土地のつくりを活かした自然下流方式を取り入れていました。
その後の江戸上水
玉川上水が完成した翌年の1654年になると、地下に配水管が設置されたことで四谷・麹町・赤坂などに給水されるようになりました。
1657年に発生した明暦の大火をきっかけに江戸の土地が拡大しました。
拡大した土地に水を供給するために、亀有上水・青山上水・三田上水・千川上水が整備されました。
水道の近代化
明治時代になると、欧米にならった都市開発が進められ交通が発達し建築分野では新しい技術が取り入れられるようになりました。
しかし水道の整備が進まないため、水路が腐食し水質は悪くなりました。
また原水を濾過する技術がなかったため、次第に汚れた水が上水に入り込むようになりコレラが流行し、多くの死亡者が出てしまいました。
コレラの流行によって水道の近代化が進められ、1867年には神奈川県横浜市に野毛山浄水場、1898年には東京に淀橋浄水場、1912年には京都に蹴上浄水場が誕生しました。
その後も都市部を中心に水道の整備は急速に広がっていきました。
【海外の水道について】
海外で日本のように安心して水道水が飲めるのは全体の約9%といわれています。
水道水が飲めない国が多いのは、水に含まれている不純物や細菌を取り除くための浄水処理を整備するための費用が高いため、思うように整備が進まないことが理由としてあげられます。
日本の水道はいつから?昔の水道と日本の水道の歴史 さいごに
日本の水道は江戸幕府ができたことによって整備が進み、明治時代になると伝染病の流行によって水の浄水処理能力が高められました。
そのため、日本の水は安全に飲めるようになりました。
安心して使える日本の水を大切にしたいですね。
♪水には軟水とか硬水とかありますが、違いも知りたいという方は次の記事をどうぞ。