博物館明治村には、宇治山田郵便局舎や三重県庁舎・聖ヨハネ教会堂などの重要文化財が多く移築されています。
しかし重要文化財だけでなく、他にも様々な建造物が展示されています。
博物館明治村にある重要文化財以外の建造物や3丁目・4丁目エリアの見どころなどを紹介します。
目次
博物館明治村の重要文化財は建物だけじゃない
博物館明治村には重要文化財の建物だけでなく、貴重な明治建造物を見ることができます。
森鷗外・夏目漱石住宅(1丁目エリア)
1887年頃、実業家の中島氏が息子の譲吉が医科大学卒業にあたり新居として建てられました。
しかし、勤務先の都合で譲吉が住むことなく空家になっていました。
1890年から1891年まで、最初の妻・登志子と離婚をした森鴎外が弟たち一緒に住んでいました。
森鴎外はこの家を「千朶山房(せんださんぼう)」と名付け、ドイツ三部作の1つである「文づかひ」を執筆しました。
1903年から1906年まではイギリス留学から帰ってきた夏目漱石が住み、「我が輩は猫である」、「坊ちゃん」、「草枕」など多くの作品を執筆しました。
玄関脇にある応接室兼書斎は、夏目漱石が執筆したと思われる部屋の様子を再現しています。
名鉄岩倉変電所(5丁目エリア)
1912年、名古屋電気鉄道・犬山線が開通時に建てられました。
大きな変電用機械を入れられるように背の高いレンガ造りになっています。
変電所の背面には、半円アーチや円弧アーチ、柱型、凹みなど様々な手法のレンガ積み装飾を見ることができます。
高田小熊写真館(5丁目エリア)
新潟県高田町に写真館として建てられ、増改築や模様替えを行いながら営業をしていましたが1981年本通りの区画整理に伴い、博物館明治村に移築保存されました。
当時は照明設備がなかったため、スタジオ内での撮影も自然光が頼りとなっていました。
そのため、光量の変化が少ない北屋根全面をガラス窓にしてあります。
内側に白黒の布を張ることで、撮影にあった光量を調節できるようになっています。
天童眼鏡橋(5丁目エリア)
山形県天童市の倉津川に架けられていた橋で、多嘉橋と呼ばれていたそうです。
幅7.7m、長さ13.3m、地元産の山寺石で造られました。
清水医院(2丁目エリア)
長野県木曽郡大桑村須原の中山道沿いに建てられていた病院です。
入り口から奥へと通り土間が続いています。
土間に向かって手前には畳敷きの待合室、奥には通り土間に対して小窓が開く薬局があります。
待合室の襖には、健康に長生きするための養生訓が書かれています。
博物館明治村3丁目の建物や見どころ
3丁目エリアには、重要文化財の西園寺公望別邸「坐漁荘」や菅島燈台附属官舎などがあります。
また、神戸山手西洋人住居や長崎居留地二十五番館・菅島燈台附属官舎などの洋館が多く並んでいて、どんな人が住んでいて生活をしていたのかを想像しながら見てみると違いが楽しめます。
また「めん処 なごや庵」があるので、名古屋めしを味わうことができます。
幸田露伴住宅「蝸牛庵」
小説家・幸田露伴が住んでいました。
幸田露伴は、よく引っ越しをする人で住まいを替えるヤドカリをもじって「かぎゅうあん」、または「カタツムリの家」と呼んでいたそうです。
向島周辺でも3回引っ越しをしましたが、この家は最も長く住んでいました。
趣味が写真だっため、1階には赤いガラスをはめた現像室があります。
博物館明治村4丁目の建物や見どころ
4丁目エリアには病院やガラス製造所・鉄道寮、江戸時代から受け継いできた芝居小屋や銭湯などの建物が集まっています。
また、普段は非公開となっている芝川又右衛門邸を決められた時間で学芸スタッフによる案内で見学できるガイドツアーがあります。
半田東湯
知多半島の港町にあった銭湯です。
銭湯は江戸時代から地域の社交場になっていて、常連客は入浴後2階で雑談をしていました。
デンキブラン汐留バー
神谷傳兵衛が考案した日本初のカクテール「デンキブラン」や小泉八雲がまとめた料理書「クレオール料理」のレシピを元に再現した「ラフカディオ珈琲」などが味わえます。
【営業時間】
季節によって変わります。
10時30分~(ラストオーダー:15時30分)
【定休日】
平日(祝日除く)
明治村の重要文化財は建物だけじゃない さいごに
博物館明治村には多くの重要文化財が展示されていますが、他にも貴重な明治建造物が展示されています。
公式ホームページには、建造物や常時展示の情報が掲載されているので参考にして博物館明治村巡りを楽しんでみてはいかがでしょうか。