オーロラは、フィンランドやカナダ・ノルウェー・アイスランドなど限られた地域で見ることができる自然現象です。
日本でも見られることがありますが、この自然現象を「オーロラ」と呼ぶようになったのは、いつなのでしょうか?
オーロラという名前のの由来やオーロラ観測の歴史・オーロラにまつわる話などを紹介します。
オーロラの名前の由来は?
イタリアの自然学者であるガリレオ・ガリレイが、ローマ神話に登場する曙の女神・アウロラ(Aurora)から名付けたといわれています。
- 女神アウロラとは
元はギリシャ神話に登場する暁の女神・エーオースで、ローマ神話に受け継がれたときにアウロラと名前が変わりました。
暁の女神・エーオースは、太陽神・アポロの妹で夜を払い、光を与え、人々に希望をもたらす役割があったそうです。
知性の光、創造性の光が到来するシンボルともいわれています。
世界と日本のオーロラの観測史
中世ヨーロッパではオーロラが赤く見えることから、災害や戦争の前触れや神の怒りであると解釈されていました。
しかし彗星も空に現れる凶兆といわれていたため、どちらなのか判別できなかったという記録があるそうです。
古代中国ではオーロラは、体が赤く長さが千里におよぶといわれている龍神・燭陰(しょくいん)に似ているのではないかといわれています。
オーロラを最初に見たヨーロッパ人は、海洋探検家であるジェームズ・クックで、1773年2月の航海日誌に「天空に光が現れた」と書き残しています。
オーロラへの関心を広めたのは北極探検家であるジョン・フランクリンで、北西航路を発見するために1845年に出発しましたが、行方不明になってしまいました。
フランクリン隊を捜索するために、カナダ北部へ救助隊が向かったときにオーロラを見たといわれています。
日本でオーロラが観測されたという記録があるのは「日本書紀」で、620年12月30日に赤いオーロラが出現していて、「赤気(せっき)」または「紅気(せっけ)」と呼ばれていたそうです。
藤原定家が書いた「明月記」では1204年2月21日に北の空に、1582年には京都で赤いオーロラが見えたと、「立入左京亮入道隆佐記」やルイス・フロイスが書いた「日本史」に記録されているそうです。
江戸時代になると、加賀藩や佐渡・北海道・信濃国・肥前国などでオーロラが観測されたという記録が残っています。
日本でオーロラと呼ばれるようになったのは明治時代からですが、オーロラが紹介されるようになったのは昭和に入ってからでした。
1958年2月11日は天気が良く、北陸から関東にかけて黄色のオーロラが出現しました。
1957年から気象庁は各地の測候所でオーロラ観測をするように命令しました。
オーロラにまつわる話
- その1
この世を去った魂が天へ昇るときに現れる光の道であるという言い伝えがあります。
またグリーンランドでは、精霊たちがセイウチの頭蓋骨でサッカーを楽しんでいるときにオーロが発生すると信じられていたそうです。
- その2
オーロラが大きくうねり出すと子どもがさらわれると恐れられていて、オーロラに近づいて触らないようにナイフを振りかざして身を守っていたといわれています。
- その3
オーロラに向かって口笛を吹く、または白いハンカチを振る・ツバを吐きかけると形が変わると信じられていました。
- その4
ヒトラーがポーランド侵攻する前夜に空に真っ赤なオーロラが現れ、作戦が失敗したという伝説が残っています。
- その5
アイスランドでは、オーロラが出現している間に妊婦が見なければ出産時には痛みがない、見てしまうと生まれてくる子どもは斜視になるといわれていました。
- その6
スウェーデンではオーロラは幸運の兆しで、漁師にとっては大漁、農民にとっては豊作になると考えられていたそうです。
- その7
オーストラリアに出現するオーロラは赤で、空が赤く染まる様子を診た先住民たちが、
- 霊界の山火事であり、大災害が迫る前兆である
- 言いつけを破ったために天空の祖先の怒りに触れ、地球を破壊するために落とした火である
- 掟を破ったために、罰が迫っていることを知らせる有毒な炎である
- 伝統的法律を破ったために誰かが罰せられるという警告であり、大きな恐怖を引き起こすのでは
- 空で大戦を戦う戦士たちが流した血、または死者の霊が天に昇ることを象徴している
などと考えられ、恐れられていたといわれています。
オーロラの名前の由来やまつわる話 さいごに
オーロラはガリレオ・ガリレイが、曙の女神の名前から名付けられたといわれています。
オーロラは場所によっては幸運の兆し、不吉な予感と違いがあります。
日本では赤いオーロラが、何度か観測され災害が起きています。
最近でも日本でオーロラが観測されています。今度は何を知らせてくれるのでしょうか。