剣道とは防具を身につけた2人が竹刀で決められた打突部位を打ち合い、試合時間中に先に2本とった方が勝ちになる武道です。
昔は人を殺すための道具だった真剣が竹刀に変わり、スポーツ的なものに変わってきた今の剣道。
ところで剣道の定義ってどんなことなんだろう?なんて考えます。
剣道の歴史や定義、剣術との違いなどを調べてみました。
剣道とはなに?剣道の定義ってどんなこと?
剣道とは江戸時代後期に古武道剣術から発達したもので、防具を身につけて竹刀で打ち合う武道のことです。
「剣の道」や剣を使った競技という意味ではなく、全日本剣道連盟が定義したものを指します。
全日本剣道連盟では剣道修練の心構えとして
「剣道を正しく真剣に学ぶことにより、心身を練磨し、旺盛なる気力を養い、剣道の特性を通じて、礼節を尊び、信義を重んじ、誠を尽くし、常に自己の修養に努め、以って国家社会を愛して広く人類の平和繁栄に寄与せんとするものである」
としています。
剣道とは人間を磨き、学んだことを広く社会の繁栄のために貢献できる人間を育てる武道であるということです。
武道の剣道の成り立ちを歴史からみると
剣道は日本に刀が誕生したことに深い関わりがあります。
日本で刀が作られるようになったのは平安時代中期と言われていて、彎刀(わんとう)と呼ばれる反りのあるものや、刃の部分に鎬(しのぎ)と呼ばれる高低のある形は日本独自のもので扱い方を修練するために剣術が徐々に広まっていきました。
戦国時代の合戦で足軽が登場したことで、刀や剣など近距離で戦うための武器を持ち、格闘技を交えた戦闘スタイルである白兵戦が主流になったことで剣術は重要なものとなりました。
1543年鉄砲が伝来したことで日本には良質な砂鉄があることが分かり、砂鉄や鉄鉱石を低温還元して作られた純度の高い玉鋼(たまはがね)を原料とした日本刀が作られるようになりました。
長い戦乱の時代を経て、日本刀作りの技術や刀法や剣術の高度化・専門化が進みました。
江戸時代になり平和な世の中になったことで、合戦がなくなり剣術の重要性もなくなりました。
この頃から日本刀は「武士の精神的象徴」となり、人を殺す技術であった剣術が人間形成を目指す活人剣へと変化しました。
正徳年間に長沼四郎左衛門国郷(ながぬましろうざえもん)が防具を開発し、竹を革で包んだ袋竹刀で打ち合う打ち込み稽古法を確立したことが剣道の起源と言われています。
その後、一刀流が鉄面や竹具足式を用いた打ち込み稽古法を採用したことで、多くの流派に波及していきました。
明治時代になると武士階級は廃止され、帯刀が禁止されたことにより剣術は下火になっていきました。
1877年の西南の役をきっかけに警視庁を中心に復活が見えはじめ、1895年には剣術をはじめとする武術の振興を図る全国組織である「大日本武徳会」が設立されました。
大正元年には大日本帝国剣道形が制定され、全国にある数百の剣術流は剣道形に統合されました。
日本刀による技と心を後世に継承するとともに、竹刀打ち剣道の普及による手の内の乱れや刃筋を無視した打突を正すという役割がありました。
1919年には、剣術や撃剣という呼び名は剣道に統一されたそうです。
第2時世界大戦後日本は連合軍の占領下となり、大日本武徳会も解散させられ剣道は壊滅状態となりました。
しかし1952年に日本の主権が回復したことで全日本剣道連盟が結成され、剣道は復活となりました。
現在では幅広い年齢層が剣道の稽古に励んでいます。
剣道と剣術の違いとは?
剣術は柔術や居合、槍、棒、薙刀、空手、体術、砲術、琉球古武術など古武道の1つに数えられ、平安時代に誕生した護身術です。
また真剣である日本刀を使った戦闘術であり、最盛期には約700以上の流派があったと言われています。
一方剣道は、剣術を発展させた武道で江戸時代中期に防具が作られ、竹刀を使った道場での稽古が広まったことで定着しました。
大正時代に撃剣・剣術は武士の精神に基づく武道という意味で名称が剣道になりました。
剣術は日本刀で相手を攻撃するための技術であるため攻撃可能の部分には決まりはありませんが、剣道では防具を着けた部分または面、小手、胴しか攻撃が許されていないという違いがありますよ。
剣道とは?剣道の定義 さいごに
相手を攻撃しながら自分の身を守るための剣術から発展し、剣道が誕生しました。
剣道の稽古を通して、努力や忍耐・集中力が鍛えられる、礼儀作法が身につく、体力がつくなどのメリットがあります。
興味があれば稽古の様子を見学してみてはいかがでしょうか。
♪日本の武道には道具を使う物では弓道もあります。弓道についてはこちらの記事をご覧いただければと思います。
武道の弓道とは?はじまりとその歴史から礼儀作法を尊重するわけ