蕎麦は天ぷら・寿司と並ぶ代表的な日本料理の1つです。
でも、いつから食べるようになったのでしょうか?
今のように細長い麺として食べられるようになったのは江戸時代からといわれています。
蕎麦の歴史や食べ方・江戸の蕎麦御三家などについてまとめてみました。
蕎麦の歴史 はじめは蕎麦掻き?蕎麦きりは江戸時代から?
蕎麦がいつ頃からあったのか?というのは
高知県内の遺跡から約9300年前の蕎麦の花粉
埼玉県内の遺跡から約3000年前の蕎麦の種子
が発見されていることから、古くから栽培されている、馴染み深い植物だったことが分かっています。
蕎麦は縄文時代から食べられていました。
その頃は蕎麦の実の殻が硬いため、そのまま茹でる・お粥にする・石を使って力任せに叩き潰して粉にするなどで食べていたそうです。
このことから蕎麦は凶作なったときに使う備蓄食として栽培されていました。
鎌倉時代になり中国から石臼が伝わったことで、硬い殻で覆われている蕎麦の実から簡単に大量の蕎麦粉が作られるようになりました。
そのため、水で錬った「蕎麦がき」・水で溶いて焼いた「おやき」や「せんべい」・中に餡を入れた「蕎麦饅頭」や「蕎麦団子」・鍋の具材など、様々な蕎麦粉料理が誕生しました。
江戸時代では麺状に切った「蕎麦切り」が食べられるようなりましたが、蕎麦粉だけで作られているので茹でにくいため、蒸籠を使って蒸していたんですね。
その後朝鮮からきた僧侶に蕎麦のつなぎとして小麦粉を使うことを教えてもらったことで、お湯で茹でることができるようになりました。
そのため江戸を中心に普及していき、日常的に食べられるようになりました。
江戸で蕎麦が人気だった理由?どうやって食べていた?
江戸では白米が流通するようになってから食生活が豊かになりましたが栄養が偏り、ビタミンB1欠乏によって発症する脚気(かっけ)が大流行しました。
「蕎麦をよく食べる人は脚気になりにくい」という噂が流れ、ビタミンB1が豊富に含まれている蕎麦を食べるようなったといわれています。
また蕎麦がもっと人気になるように店も様々な工夫をしていました。
例えば蕎麦が茹で上がるまでの時間を待ってもらうために酒や蒲鉾を薄く切りワサビを添えた「板わさ」や
出汁巻き玉子などの一品料理などを提供していました。
昼間に軽く酒が飲みたいときに蕎麦屋に行けば楽しめる「蕎麦屋呑み」が人気となったんですね。
当時は蕎麦ができるまで酒と一品料理を楽しみながら待ち、蕎麦がきたら手早く食べてサッと帰ることが粋だといわれていたそうです(^^)
江戸蕎麦の御三家とは?
江戸で生まれ現在でも続いている老舗の蕎麦屋には、藪(やぶ)・更科(さらしな)・砂場(すなば)があり「老舗御三家」または「江戸蕎麦御三家」と呼ばれています。
藪(やぶ)
創業時期は不明ですが店の周りに竹藪があったため藪と呼ばれるようになりました。
麺の色は蕎麦の実の甘皮による緑がかっている・辛口のそばつゆが特徴となっています。
そばつゆが辛いため、麺の先にちょっとだけつゆをつけて食べるといいそうですよ。
更科(さらしな)
1789年蕎麦打ちの上手な信州出身・堀井清右衛門が、領主のすすめで江戸に「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛開」を開業したといわれています。
蕎麦の実の芯だけを使った「一番粉」を使用しているので、透き通るような白さと細くてコシのある麺が特徴となっています。
1948年に戦後の混乱の中、馬場繁太郎が麻布十番界隈に「永坂更科本店」という看板で蕎麦屋を開店しましたが、店名に関する裁判が行われ「永坂」と「更科」の間を少し開け「麻布永坂 更科本店」とすることで和解したそうです。
砂場(すなば)
大阪城築城の頃大阪市内にあった資材などを置く「砂場」で蕎麦屋を開いたことが由来となっています。
徳川家康が江戸に居城するときに一緒にやってきました。
甘めの濃いつゆが特徴となっています。
甘めのつゆと蕎麦の香りは疲れた身体を癒やしていたそうです。
蕎麦を食べ終わった後のつゆに蕎麦湯を入れて一息つくのが楽しみ方の1ついわれています。
蕎麦の歴史 さいごに
蕎麦にはルチンやビタミン類・食物繊維などが豊富に含まれています。
動脈硬化・高血圧・糖尿病などの生活習慣病や美肌・ダイエット・疲労回復などに効果があるといわれています。
なので、積極的に取り入れてみるのもいいですね。
また蕎麦湯を飲むことで蕎麦の栄養を逃すことなく取り入れることができます。
食べ終えたつゆに注いで香りを楽しみながら飲んでみてくださいね。
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