握り寿司や巻き寿司・押し寿司・棒寿司など様々な種類がある日本の寿司。
私も大好きなお寿司、いつから作られて食べるようになったのでしょうか?
外国人にも人気の日本の寿司の発祥や歴史など当たり前に食べているだけで何も知らなかったわけで (^^;)
いい機会なので寿司について知りたいと思い調べたのでご紹介します。
日本の寿司はいつからあるの?最初に作ったのは?
世界で最初の寿司は紀元前の東南アジアやタイ東北部・ミャンマーなどの山岳地帯に住んでいた人たち。
彼らが、手に入りにくい魚を長期保存させるために飯と塩で乳酸発酵させた熟れ鮨(なれずし)であるといわれています。
その後中国へ伝わり、稲作とともに日本へ入ってきたそうです。
日本の文化寿司誕生の歴史
日本の寿司は奈良時代に鯛やアワビ・烏貝などの熟れ鮨が、中国から朝廷への貢ぎ物としてきたのが始まりであるといわれています。
平安時代になると、九州や西日本・東海各地で鮒や鮎・鮭を原料とした熟れ鮨が作られ朝廷へ納められるようになりました。
当時は身分の高い人しか食べられない高級な食品で、飯を取り除いて魚だけを食べていました。
鎌倉時代では残り物となった魚を原料として熟れ鮨が作られるようになりました。
室町時代に入ると何ヶ月も発酵させず漬け込む期間を短くした生熟れ鮨、または半なれと呼ばれる食品が誕生しました。
生熟れ鮨は、桶に塩をまぶした魚介類と飯を交互に入れてからフタと重しをのせて、軽い酸味が出るまで数日間置くという製造方法でした。
その後野菜や山菜なども原料として使われるようになります。
生熟れ鮨は漬け込む期間が短いため、飯は魚と一緒に食べるようになりました。
日本の握り寿司の歴史 誕生はいつ?
酢飯を作る時は米に酢を加え酸味を作り出すために発酵させる必要がありました。
江戸時代になると米酢が登場したことで、短期間で酢飯を作れるようになりました。
握り寿司は江戸時代後期、両国の寿司職人・花屋与兵衛が酢飯の上に具をのせて食べるスタイルを考案したのが始まりであるといわれています。
おにぎりくらいの大きさがあったので、2~3切れに切って食べていたそうです。
握り寿司2貫が1枚の皿にのせてあるのは、おにぎりスタイルの名残であるといわれています。
明治時代になるとマグロやカツオ・サンマ・アジなどを醤油に浸す、または酢で締めるなどで味付けをしたヅケが作られるようになりました。
また製氷産業が盛んになり、寿司屋でもネタを冷やして保存するために氷が使われ始めます。
大正時代では電気冷蔵庫を使う寿司屋も出てきて、ネタの種類が増えサイズも小さくなり現在の握り寿司に近くなってきました。
関東大震災で東京が壊滅状態になったことで、寿司職人たちが地方へと引っ越したため江戸前ずしが全国に広まったそうです。
第2次世界大戦後、飲食営業緊急措置令が施行されたことで寿司屋の営業が厳しくなったので政府と交渉し1合の米と握り寿司10個、または巻き寿司4本を交換できる委託加工という方法にすることで、寿司屋の営業を続けられるようにしました。
昭和の高度成長期になると、屋台の寿司屋は衛生面が悪いことから廃止されてしまいます。
寿司は料理店だけで扱うようになってしまい、庶民的だった寿司は高価な食べ物になります。
1958年、大阪に日本初となる回転寿司店「廻る元禄ずし」がオープンし、続いてテイクアウト専門の寿司店「小僧ずし」、「京樽」などが登場。
1980年頃に全国展開したことで寿司は庶民でも味わえる食べ物になりました。
寿司誕生の歴史 さいごに
山岳地帯の人たちが魚を長期保存するために作っていた熟れ鮨が寿司の始まりでしたが、作っていたのが東南アジアやミャンマーだったのは意外でしたね。
熟れ鮨は現在でも滋賀県の鮒ずしをはじめ各地の郷土料理として食べられています。
江戸時代の握り寿司の大きさがおにぎりくらいだったのも驚きました。
サッと食べられるのが握り寿司の魅力だったようですね。
握り寿司の他にもお祝いの席でいただく茶巾寿司やちらし寿司、その地方で食べられている郷土料理など寿司の種類は豊富にあります。
千年以上と長い歴史がある日本の寿司の味をいろいろ楽しんでみてはいかがでしょうか。
♪握り寿司の具をネタという意味やルーツについてはこちらに書いてみましたのでご覧いただければと思います。
具を寿司ネタというのはなぜ?その意味やルーツと寿司ネタの種類