世界で最初の写真は、1826年にフランスの発明家であるニエプス兄弟が自宅から見える景色を約8時間かけて撮影されました。
日本に写真が伝わったのは、いつなのでしょうか。
日本での写真は風景?人物?
日本での写真の歴史や最古の写真について調べてみましたのでご紹介します。
日本の写真の歴史
1843年オランダ船によって長崎に写真機材が持ち込まれたことによって、日本に写真が伝わりました。
しかし機材は持ち帰られてしまいましたが、長崎の御用商人でもあり蘭学者であった上野俊之丞(うえのとしのじょう)が、写真機材をスケッチしていたそうです。
1848年、薩摩藩主の島津斉彬が写真機材を入手し歴史学者の市来四郎(いちきしろう)に研究を命じました。薬剤の調整が難しく、写真撮影が成功したのは1857年9月17日だといわれています。
1852年、アメリカのペリー艦隊に乗っていた写真家のエリファレット・ブラウンが銀板写真の技術で日本の各地や人物などの写真を撮影しました。
1860年、中国で写真館を経営していたアメリカの写真家であるオリン・フリーマンが横浜で写真館を開きました。1861年、写真家の鵜飼玉川がフリーマンの写真機材一式を購入し江戸薬研堀で日本人初の写真館を開きました。
1862年、写真家の上野彦馬が長崎で上野撮影局を開きました。
この写真館で坂本龍馬や高杉晋作など幕末に活躍した志士・明治時代の高官・名士などの肖像写真を多く撮影していました。
その後、京都や北海道・福岡県などに写真館が誕生しました。
1883年、イギリスから輸入されたゼラチン乾板によって写真撮影が簡単になったことで愛好家が増えました。
1900年代になると記録だけでなく、芸術として写真が撮られるようになり展覧会も行われるようになりました。
現在では誰でも簡単に写真が撮れるようになり、SNSで発信する人が多くなりました。
写真が日本で一般的になったのはいつから?
日本で写真が一般的になったのは、大正時代であるといわれています。
大正時代に写真を使った広告や文化・芸術活動が盛んになったことで、一般家庭にも写真が広まり多くの人たちが撮影を行うようになりました。
また70年代になると白黒写真からカラー写真に代わったことで、カメラを入手する人が増えました。
そのため写真を撮るためのフィルムは専門店だけでなく、スーパーマーケットやコンビニエンスストア・観光地・遊園地・駅の売店などで販売するようになったので手に入れやすくなりました。
また写真を現像するための取次も薬局やクリーニング店・文房具店などで扱ってくれるようになり、写真は身近なものとなりました。
写真の最古のものは日本では人物?風景?
日本最古といわれている写真は、建物であったと考えられています。
1857年、大名や商人たちの交流を深める場として使われていた東京・日本橋にあった三菱会所の外観を、フランスの写真家であるロジャー・ファンデン・ブルンが撮影した写真です。
現在残っている写真はロジャー・ファンデン・ブルンがフランスへ帰国してからプリントされたもので、オリジナルであるガラス板写真は残っていないそうです。
ちなみに1857年9月17日に薩摩藩士である宇宿彦右衛門(うしゅくひこえもん)と市来四郎(いちきしろう)が藩主である島津斉彬(しまづなりあきら)を撮影した写真が、現存する最古の写真で日本人が撮影したものであるといわれています。
島津斉彬は写真を「父母の姿をも百年の後に残す貴重の術」という認識を持っていて、藩内に写真撮影のグループを作り、研究開発を行っていました、また、カメラマンとして城や自分の子どもたちの写真を撮影していたそうです。
どちらも1857年に撮影された写真ですが、三菱会所を撮った写真のオリジナルはありません。
しかし島津斉彬を撮った写真は国の重要文化財に指定されていて、尚古集成館(しょうこしゅうせいかん)で見ることができます。
尚古集成館(しょうこしゅうせいかん)
島津家に関する史料を3つのテーマに分けて展示しています。
【住所】
〒892-0871鹿児島県鹿児島市吉野町9698-1
【営業時間】
9時から17時まで
【入場料金】
大人1,000円
小中学生 500円
- 2024年10月まで耐震・リニューアル工事のため本館は休館となります。別館は年中無休で開館しています。
日本の写真の歴史と最古の写真 さいごに
日本の写真はオランダ船によって伝わったことで始まりました。
当時は撮影するのに時間がかかったことで日本では魂が抜き取られるという迷信がありました。
その後、研究開発によって今では一瞬で写真が撮れるようなりました。
何気ない日常を記録として残せる写真をいろいろ撮ってみてはいかがでしょうか。
♪ 写真といえばカメラのことも少し書いてみましたので、発祥やデジカメとの違いについてはこちらをどうぞ