入浴は身体の汚れを落とすだけでなく、疲労回復やリラックスできるなどの効果があります。
お風呂に入る習慣はいつどこで始まったのでしょう。
そして日本のお風呂文化の歴史や起源、また風呂という名前になぜ風という字が使われているのかその語源など、風呂のはじまりや日本の風呂文化について調べたことをまとめてみましたのでご紹介します。
風呂の歴史 お風呂のはじまりはどこでいつから?
風呂は紀元前4000年頃のメソポタミアで、身体を清めるために沐浴を行っていたのが始まりといわれています。
紀元前2000年頃になると神殿に薪を使った温水の浴室が作られていたそうです。
また、ギリシア文明では、健全な精神は健全な肉体に宿られるという考えからスポーツ施設に沐浴するための水風呂が作られていました。
ローマ帝国になると、豪華な公衆浴場とお湯を沸かすときに発生する熱を利用した床暖房が設備されていたそうです。
当時の公衆浴場は社交場として男女混浴となっていました。
しかし、キリスト教が浸透したことで、裸で1つの場所に集まることを嫌い次第に廃れていき、ハドリアヌス帝の頃になると男女別々になりました。
その後ローマ帝国の領土を受け継いだヨーロッパでは、13世紀頃まで辺境の地でも教会へ行くために身を清める入浴の習慣、都心では公衆浴場があり温水風呂や蒸し風呂を楽しんでいたそうです。
しかし男女混浴であったことから淫らな行為、または売春行為へつながったことから風呂は次第に廃れていきました。
14世紀になるとペストが流行ったことで、風呂に入ることがペスト菌を身体に入れてしまうという間違った考えによって風呂習慣が小さくなってしまいました。
その後、医学が進歩した18世紀では入浴によって病原菌を身体に取り込むという解釈が否定され、健康に良いことだと見直されました。
しかし、温水につかる風呂ではなく、温水を浴びるシャワーが習慣として広まっていきました。
現在のヨーロッパでは湯船のない浴室が多く、温水につかる風呂は月に1~2回程度が一般的となっています。
日本の風呂文化 起源
日本の風呂は、6世紀に中国から仏教とともに伝わってきたのが始まりといわれています。
仏教では、「風呂に入ることは七病を除き、七福が得られる」という教えがあり、風呂に入ることは健康に良いことであると理解していたそうです。
そのため、身体の汚れを落とすことは仏に仕える者の大切な仕事ということで、多くの寺院で浴堂が作られるようになりました。
当時の風呂には、現在のサウナのような蒸し風呂と温水に身体を浸すと方法が2種類ありました。
室町時代になると、「町湯」と呼ばれる銭湯が建てられるようになります。
貴族たちは屋敷内に風呂を建て、宴会と一緒にした「風呂ふるまい」を行っていたそうです。
また風呂を持っていない貴族たちは、町湯を貸切にして「留風呂」を楽しんだという記録が残っています。
江戸時代には、公衆浴場の銭湯が登場したことで一般庶民でも風呂を楽しめるようになりました。
この頃は戸棚風呂と呼ばれる蒸し風呂が主流となっていて、膝から下を温水につけた半身浴となっていました。
明治時代になり武士も平民になったことで、銭湯の利用者が増えました。
銭湯も蒸し風呂から浴槽に温水を入れ、洗い場を広く取り天井を高くして開放的な清潔感のある空間へと変わりました。
大正時代の銭湯は近代化によって浴槽は木製からタイル貼りへと変わり、水道の普及によって水道式のカランが取りつけられるようになりました。
終戦後、高度成長期になると欧米文化が浸透したことにより、家で楽しめる内風呂が広まっていきました。
現在では内風呂や温泉・スーパー銭湯などで風呂を楽しむようになりました。
風呂の語源は?なぜ風という字が使われている?
風呂の語源には、茶の湯で湯を沸かす風炉(ふろ)からという説と湯室(ゆむろ)が転じたという説など諸説がいくつかあります。
その中で一番有力といわれているのが、室(むろ)が訛って風呂になったという説です。
室とは洞窟、または洞窟のような狭い場所のことをいいます。
昔の風呂は、狭い空間に溜めておいた蒸気を浴びることで身体の汚れをふやかしてから、こすり落とす蒸し風呂でした。
蒸し風呂は蒸気が逃げないようにする必要がありますが、家ではこのような場所を作ることはできませんでした。
そのため、岩山を掘って室を作り、石を積み上げた小さな釜で枯れ葉を焚いて蒸し風呂を楽しんでいたことから「むろ」が訛って「ふろ」になったと考えられています。
風呂の歴史日本の風呂文化 さいごに
日本の風呂は江戸時代になってから多くの人たちが楽しむようになりました。
現在でもいろんな風呂があるので楽しんでみてはいかがでしょうか。